法事 | ある意味、独り言。

法事

時々自分で出した答えに
恐ろしいほどの後悔で潰されそうになります。

大人ぶって、しょうがないよ。って。
全然しょうがなくねーよ。バカ。

辛いね。人生って。

そんな訳で今日は親父の20回忌でした。

フと思ったんだがじいちゃんの代まで神主だった我が本家ですが
先祖代々の墓は禅宗のお寺にちゃんとあるんですよ。

先祖供養は神道じゃねーのか?

そーいえば腕組んで考えてみたけど神道における
御祭神はあくまで神さまであって建前、先祖供養じゃないわな。
まー。厳密に言えば神式葬儀もあるし神式霊園も存在するが
メジャーではないですよね。

靖国の英霊も神様であると同時に故郷ではお寺のお墓の中。
そんな役割分担してる宗教ってほかの国にあんのかよ。

なんか実に日本って感じですわ。いいトコ取りの合理的で
宗教的には非常にズボラでもありますな。

そこんトコお坊さんに聞こうと思ってたのに聞きそびれましたが
実に興味深い話を聞きました。

地元のそう大きくない禅宗の地蔵寺さんってトコなんですが
聞けば850年ぐらい前に富士山の噴火で焼けて
元の場所が使えないから今の場所に越してきたそーで。

お世辞にも大きなお寺じゃないんですが
日本の歴史の長さに改めて関心したんですよ。

そんな訳で
ここでひとつ疑問が湧きました。

俺の地元って山梨県の富士山を仰ぎ見る地でして
他のエントリーでも書いてますが富士浅間神社って、
けっこう大きな神社があり、この神社から始まる富士山への
登山道があるからこの地に人が住みだした。
言わば神社城下町だと俺は思ってたんですわ。

坊主の話からすると神社が出来るはるか昔から
この痩せた地に人が住んでたことになる。

ほとんどすべての人には「だからなに?」って感だろーけど
俺的には常識がぶっ飛んだ非常に食いつく話でしたね。

その浅間神社。HPとかでは創建は垂仁天皇の命だと書いてます。
史実かどーか疑わしい垂仁天皇の命で創建したとの言い伝えは
俺的にはガセ決定。紀元前70年に大和の地より遠く未開の富士北麓に
神社建てる訳ないっつーの。

だいたい古事記で日本武尊が東征の際にこの地に立ち寄った
って記述があるんだがソレ信じても2世紀の話ですよ。ソレまでは
天皇の支配下になってないんだもの。

HPで垂仁天皇の名前は出さんほーがいいと思うぞ。浅間神社さん。

と、わき道にそれましたが

信用出来る史実とては今の本殿ではなく東宮本殿(現在のは武田信玄の再建)
を13世紀に北条義時が建てたのが最初と俺は見てます。

で、先の坊主の話だと焼失が850年前。12世紀ですわ。
調べてみると確実な噴火といえば永保噴火が11世紀にありました。
焼失即お引越しはありえないんでほぼシンクロしているし
寺所蔵の資料とかローカルな文献からするとこれは信憑性が高い。

焼失前のお寺はそのどのくらい前に創建されたかはわかりませんが
この地に神道が入るかなり前に6世紀に入ってきた新参者の仏教が
根付いていた可能性がある。

これは面白い。ちょっと真剣に調べてみたくなってます。

え?なにが面白いか解らない?
確かにちょっとオタク、入ってますな。コレ。